終戦のローレライ 下
著者
福井 晴敏
出版社
講談社
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2002/12
ISBN 4-06-211529-8
「人生を削って書いた。そうさせる力が、彼女(ローレライ)にはあった」

どの世代にも描き得なかった“あの戦争”がここに。はるかな地平に到達した著者、待望の書下ろし超大作。

「国家の切腹を断行する」南方戦線で地獄を見た男の、血塗られた終戦工作。命がけで否と答えるべく、その潜水艦は行動を起こす。

耐えてくれ、ローレライ。おれたち大人が始めたしょうもない戦争の痛みを全身で受け止めて、行く道を示してくれ。この世界の戦をあまねく鎮めるために。いつか、悲鳴の聞こえない海を取り戻すために――


著者紹介
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■福井晴敏(ふくいはるとし)
1968年東京都生まれ。千葉商科大学中退。1998年、『Twelve Y.O.』で第44回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。1999年刊行の『亡国のイージス』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、大藪春彦賞をトリプル受賞した。他の著書に『川の深さは』『月に繭 地には果実』(『∀(ターンエー)ガンダム』改題)がある。

 

絹見真一
戦利潜水艦《伊507》艦長。日本海軍少佐。四十三歳。


高須成美 同艦先任将校兼水雷長。大尉。三十六歳。


田口徳太郎 同艦掌砲長。兵曹長。四十二歳。


折笠征人 同艦乗務員。上等工作兵。十七歳。


清水喜久雄 同艦乗務員。上等工作兵。十七歳。


岩村七五郎 同艦機関長。機関大尉。五十一歳。


木崎茂房 同艦航海長。大尉。三十七歳。


早川芳栄 同艦乗務員。特殊潜航艇《海龍》艇長。中尉。三十三歳。


小松秀彦 同艦甲板士官。少尉。二十四歳。


時岡纏 同艦軍医長。軍医大尉。三十八歳。

玄関を出ると、真夏の暴力的な日差しが正面から振りかかり、寝不足の目を痛ませた。大湊三吉は思いきり顔をしかめ、軍帽の鍔を心持ち前に傾けて歩き始めた。
半年前の空襲で向かいの家屋が焼け、影になるものがなくなってからは、朝陽が直接玄関に差し込んでくるようになった。
昭和二十年、八月五日。町が焼かれようが、国が滅びの淵に立とうが、陽は関わりなく昇ってこの身を照らし続ける。
感心半分、自潮半分で内心に咳き、大湊は迎えのサイドカーが待っているはずの通りに向かった。
向丘の地名通り、高台の上にあるこのあたりからは、火京は本郷の町並みを一望することができる。二月二十五日、二週間後の大空襲を予感させる大規模爆撃で焼き払われた本郷は、焼け焦げた瓦礫の山も、露出した地面
も、その合間を通る人も等しく真夏の太陽に衆られて、どこか白々と揺らめいて見えた。
帝大の敷地内にある安田講堂の時計台だけが、ひどく平坦になった町にぽつんと突き立っており、無人の構内に長い影を落としているのが悲しかった。
ほとんど炭化した電柱が件む角を曲がり、蝉の声を聞きながら坂を下る。送迎の車は玄関先まで回るのが普通だが、坂の多い入り組んだ通りにわざわざ来させる必要はないと思い、大湊は坂を下りきった大通りで待たせる
ようにしている。成り上がり将校の貧乏性と陰口を叩かれたのは二年前までで、"石油の一滴は血の一滴"など.〜うかん
という標語が巷間に流布し、車の代わりにサイドカーが迎えに来る時勢になると、それらの声はぴたりと収まった。
いつものように坂道を下り、大通りに出た大湊は、しかし常ならぬ光景をそこで目にして、しばし立ち止まってしまった。
サイドカーの陸王ではなく、黒塗りのベンツの脇に立って敬礼したのは、二種軍装の白い詰襟で身を固めた中村政之助大尉だった。
柱島の調査行以来、すっかり打ち解けた感のある部下の顔を眺め、最近では将官の送迎にのみ徒われるベンツの車体を眺めた大湊は、答礼もそこそこ、「どういう風の吹き回しだ?」と口を開いた。
「空きの公用車がありましたので、お出迎えにあがりました」

 

 
 


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