OUT 上
著者

桐野夏生/〔著〕

出版社
講談社/講談社文庫
定価
本体価格 667円+税
第一刷発行
2002/06
ISBN 4-06-273447-8
ごく普通の主婦であった彼女たちがなぜ仲間の夫の死体をバラバラにしたのか!?

深夜の弁当工場で働く主婦たちは、それぞれの胸の内に得体の知れない不安と失望を抱えていた。「こんな暮らしから脱け出したい」そう心中で叫ぶ彼女たちの生活を外へと導いたのは、思いもよらぬ事件だった。なぜ彼女たちは、パート仲間が殺した夫の死体をバラバラにして捨てたのか?犯罪小説の到達点。’98年日本推理作家協会賞受賞。


著者紹介
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1951年生まれ。’93年、『顔に降りかかる雨』で、第39回江戸川乱歩賞を受賞。’97年発表の本作『OUT』は「このミステリーがすごい!」の年間アンケートで国内第1位に選ばれ、翌年同作で日本推理作家協会賞を受賞した。’99年『柔らかな頬』(講談社)で、第121回直木賞を受賞。近著に『ファイアボール・ブルース2』『光源』(ともに文藝春秋)、『玉蘭』(朝日新聞社)、『ローズガーデン』(講談社)などがある。

 

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第一章夜勤

駐車場には、約束の時間より早めに着いた。
車を降りると、湿気を多く含んだ七月の濃い闇に包まれた。
蒸し暑いせいか、闇が黒々と重く感じられる。
香取雅子は息苦しさを覚えて、星の出ていない夜空を見上げた。
冷房の効いた車内で冷やされ乾いた皮膚が、たちまちねっとりと汗をかきはじめる。
新青梅街道から流れてくる排気ガスに混じって、揚げ物の油臭い匂いが微かに漂っていた。
これから、雅子が出勤する弁当工場から来る匂いだ。
《帰りたい》
この匂いを嗅ぐと、この言葉が思い浮かぶ。
どこに帰りたくてそんな言葉が生まれるのかわからなかった。
今出てきたばかりの家でないことは確かだ。
なぜ、家に帰りたくないのか。
いったいどこに帰るというのか。
道にはぐれた気分が、雅子を当惑させる。
午前零時から朝五時半まで延々と休みなく、ベルトコンベアで運ばれる弁当を作り続けなければならない。
パートにしては高い時給だが、立ちづめのきつい作業だ。
体調の悪い時などはその辛さを思ってここで身がすくんだことも一度や二度ではない。
が、このあてどない気持ちはそれとは違っていた。
雅子はいつものように風望に火をつけ、その行為が工場の匂いを消すためにしていたのだ、と初めて思い至った。
弁当工場は武蔵村山市のほぼ中央、広大な自動車工場の灰色の塀が続く道に面してぽつんと立っている。
周囲は挨っぽい畑地と小さな自動車整備工場群。
空のよく見える平べったい土地だ。
工場の駐車場はさらにそこから徒歩で三分。
荒涼とした廃工場の先にある。
駐車場は簡単に整地しただけの広い空き地だ。
テープで駐車位置が決められてはいるが、砂壌にまみれてその線も定かではない。
従業員を運ぶワンボックスカーや、軽自動車などが乱雑に停められていた。
誰かが草むらや車の陰に潜んでいてもわからないだろう。
ここも物騒な場所だ。
雅子は念のために周囲を羅げながらドアをロックした。
土を噛むタイヤの音がして、黄色いヘッドライトが夏草の茂みを一瞬だけ煙々と照らし出した。
緑色のゴルフカブリオレが駐車場に入ってくる。
キャンバストップを上げた運転席から、太めの城ノ内邦子が首を突き出して頭を下げた。
「すみません。遅くなって」
邦子は雅子のぼけた赤色のカローラの横に、ゴルフを無造作に停めた。右に大きく曲がっているが気にする様子もない。
サイドブレーキを引く音も、ドアを閉める音も不必要に強く、万事が派手でけたたましかった。
雅子は煙草をスニーカーの先で操み消した。
「あんたの車、かっこいいわね」
工場でも何かと話題にのぽっている。
「そうですか」邦子は嬉しそうに舌をちろっと出した。
「でも、これのせいで借金抱えちゃって馬鹿ですよね」
雅子は曖昧に笑った。
邦子の借金は、車のせいばかりでもなさそうだ。
邦子の持ち物はブランド品が多く、服装も金がかかっている。
「早く行こう」
駐車場から弁当工場までの道のりに痴漢が出没するようになったのは、今年に入ってからだった。
これまでに何回か、パート従業員が暗がりに連れ込まれて危ない目に遭っている。
なるべく連れだって出勤するように、と昨日会社から注意が出た。
二人は街灯のない真っ暗な未舗装路を歩きだした。

(本文P.7〜9より引)

 
 


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