プロローグー あなたに「思いがけないうれしいこと」がやって来る日
*「素敵な贈り物」をたくさん受け取れる人の、こんな生き方人生には、とう考えても神様、または大いなる存在の導きとしか思えないことか起こる。
とても人間業では為しえない物事のタイミンク、幸運。
そして奇跡のような出来事。
それらを単に偶然と言いきれない神秘さを、私たちは感しているはすだ。
明らかに運のいい人、悪い人かいるか、そこには目に見えない何ものかの支えや、なにかしかのルールヘの背信によって力か働いていることか見て取れる。
自分に「ちいさな奇跡」を起こすためにはどうしたらいいのたろう。
このテーマを考えていく前提としたいことかある。
人生を歩んていく上て、その先を光て照らし導いてくれる大いなる存在。
または、私たちの心か常によりところとする存在。
私たちが幼いころに庚然と存在を信していた「神様」の存在を、ますはっきりと感じることから始めたい。
ただ、この本の中て私が「神様」と呼ふ存在は、いついつに○○しなければならない、○○を食べてはいけない、といった厳しい神様ではない。
むしろ人間的とてもいうか、保護者にも似た愛情に満ちた大らかな存在。
この宇宙の創造主であると同時に、個人個人を細かくケアしてくれる存在だ。
常に「神様」と呼はれる存在と向き合うことが、心を成長させる礎となる。
また、さまざまなアプローチて私たちを試し、至らない点を自覚させ、よりよく生きるための知恵を授けてくれる。
そして合格点をもらうと、素敵な贈り物か受け取れる。
チャンスも、出逢いも、思いがけないうれしいことも。
それは神様からのギフトだ。
そういう意味て、神様の存在を感じなから生きるというのは、私の大前提になっている。
たとえは、私は初詣てあれこれ祈願しない。
私は初詣で、神様に宣言する。
または、約束をする。
「神様、いつもお守りくださってありかとうこさいます。今年もかんはりますのて、見ていてください」
拡大解釈かもしれないが、みんなの願い事を叶えるのか神様の仕事たと思う。
お正月には、ものすこい数の願い事か持ち込まれて神様もさそ大変、と思うのたか、神様のキャパシテイーは無限なのて、人間てある私か心配することもないのだろう。
たたし、願い事をすへて叶えてくれるというわけてはない。
願いを叶えるにふさわしい人間であるかとうかの見定めは、とても厳しいに違いない。
お願いしたからには、目的を叶えるための努力をする。
努力した人間の後押しをしてくれるのが神様だ。
お願いしっぱなしでは、何の効力もない。
そして、願いが叶ったら、御礼を申し上げる。
多くの人がこの「御礼」のお参りをしない。
しかし、考えてみよう。
お世話になった人にお礼を申し上げる。
いいことをしてもらったら「ありがとう」を言う。
これは人としての当然の礼儀だ。
御礼のお参りをするのは、当然のことなのである。
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