やりたいことは全部やれ!
著者
大前研一
出版社
講談社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2001/12/3
ISBN4−06−210837−2
大前流 人生の極意 会社に、仕事に、振り回されるな。思い通りに生きなければ後悔するぞ! 好きなことをやり、自分の人生は自分で決める。私は、親の言うことも聞かず、先生の言うことも聞かず、上司の言うことも聞かないで、自分のぺースでしか動かない、という生き方をしてきた。それは時に寄り道、回り道になって、無駄であったかもしれないが、後悔だけはしていない。そういう人生も悪くないのだ、ということをぜひ本書で知ってもらいたい。

■目次
プロローグ 人生、寄り道・わき道・回り道;第1章 人生を長く楽しく生きる極意;第2章 経営者の素顔;第3章 世界を知る;第4章 旅に学ぶ;第5章 愉快な仲間たち;第6章 死ぬほど遊ぶ;第7章 私のルール;エピローグ 人生の収支決算

■要旨
大前流人生の極意。会社に仕事に振り回されるな。思い通りに生きなければ後悔するぞ。

 

 

 

プロローグ人生、寄り道・わき道・回り道


人生は長い

私は今までにいろいろなことをしてきた。そろそろお暇を、と思ってもまだ五八歳だ。

登校拒否の子供の頃に始まって、アルバイトに精を出した学生時代、原子力の研究に燃えた二〇代、世界的なコンサルティング会社マッキンゼーで定年退職するまでの二三年間、そして「平成維新の会」を立ち上げ都知事選に出馬した五〇代前半、学校を作り後進の指導に明け暮れる昨今。
やりたいことをやり、見たいところ、行きたいところ、すべて行った。

しかし、まだ平均寿命からみれば二〇年は残っている。
結局、人生はお釣りがくるくらい長いのだなー、と最近つくづく思うようになった。
この間に書いた本が一三〇冊、英語で出版した本が八冊になる。

今では世界中どこに行っても私の本は各国語に訳され、手に入れることができる。
経営者は、私の話を聞こうと高い入場料を払って来てくれる。
北米や東南アジアは言うにおよばず、チリやアルゼンチンでも、フランスやアイスランドでも、インドやアラブ首長国連邦でも、オーストラリアやニュージーランドでも、である。

学生時代には、こんなことになるとは思ってもいなかった。
ひたすら原子力の技術者になろうとしていた。
ふとしたきっかけで入ったマッキンゼーが、世界中の超エリートが目白押しのコンサルティング会社だったから、その中で活躍しているうちにだんだんと世界的な経営者グループの中に押し上げられていったのだ。

しかしよく見てみると、マッキンゼーの経営を担当し、かつ現場でのコンサルティングをしながら、私ほど本を書いたり講演をしたりした人間は結局ひとりも
いなかった。
今思えば、世界中で六〇〇〇人もいた同僚の中でも、やはり私の人生は変わっていたのかもしれない。

その後、早期定年制度を利用して引退し、私は残りの人生を日本の改革のために捧げようと立ち上がった。
しかしこれは見事に失敗し、一九九五年には都知事
選の顛末を『敗戦記』(文藝春秋)に書いて、自分自身でやることは諦めた。

考えてみれば、私は政治家には向いていない。
政策を提言して政治家にやってもらうのはいいが、自分でやるためには選挙に当選しなくてはならない。
青島幸男さんが圧勝したくらいだから、都民は私を求めてはいなかったのだ。

また私も、都民との会話の術を持ち合わせていなかった。
そんな不得意なことを続ければ人生真っ暗になる。
私は電卓のAC(オールクリア)ボタンを押すように、これまでの人生に区切りをつけ、次の人生に向かった。

私は相当周到な人間である。
だいたい飯が食える程度の芸は、若い頃からいくつか身につけていた。
まず腕っ節が滅法強い。

高校時代に鉄棒で懸垂を繰り返し鍛えた。
腕相撲ならまず負けない。
だから、工事現場で仕事をしてもいつでも食っていける。

これが、若い頃から思い切りがよく、先生や上司に平気で楯突けた最大の理由である。
いざとなれば家族くらいは食わしていける、という自信である。
大前研一、といえばなにやら頭がよくて理屈の世界の人間と思っている人は、ここで偏見を修正してもらいたい。

私は浜松の自衛隊の隊員とも、防衛大学のラグビー部の人間とも、スタンフォード大学の屈強な教え子とも何人も続けて腕相撲をやったことがあるが、その中で負けたのはただの一回だけである。
いっとき、クラリネットを始めて、これを職業にしようと思ったこともある。

だから、場末の楽団くらいなら雇ってもらえるし、それで飯を食っていける。
しかし、私は教えるのもうまいから、もしこの道を選んでいれば、いつまでも自分の芸で雇われるのではなく、稽古塾でも開いて全国にフランチャイズ展開をして
いるかもしれない。

いや、必ずそうしているだろう。
原子力の道でも工学博士号を取っているから、どこかの大学の先生か安全委員などを歴任して、今ごろは政府の御用学者として便利に使われていたかもしれな
い。

そういう人生が見えてきて廃業したのだから、「先生、先生」と呼ばれていなくても梅いはない。
そう言えば、いちばん悔いが残るのは都知事選で惨敗したことである。
あのとき勝っていれば、今の日本ははっきりと変わっていただろう。私は何をやるのか、すべて月刊「文葵春秋」(九五年三月号)に書き出し、宣言してから出馬した。だから当選していたら、そこで書いたことをすべてやるべく突き進んでいたはずだ。

そうなれば、エスタブリッシュメントがパニックとなり、暗殺団が結成されていたかもしれない。
そういうわけで、家族や友人たちは落ちて喜んだ。私のまわりは、最初からやめておけと言う人ばかりだったから、それもしかたがない。
しかし、死ぬときに 「ああ、あのときやっていれば……」と後悔することだけは避けたかった。やり方や手法には悔いが残るが、やったこと自体は「さっぱり死ねてよかった」う辞世の言葉がすでに確定しているくらい、結果には満足している。

 

 

 

 

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