この人はなぜ 自分の話ばかりするのか
 
  こっそり他人の正体を読む本 「いい人そうだけど、本当は?」「自分は人にどう思われているんだろう?」ちょっと気をつけて観察すれば、気になる人の正体は浮かび上がる。職場、家族、恋愛、友人、どんな関係でも共通する「人の読み方」。相手がもつパターンを見抜けば、性格がわかり、行動が予測できるようになる。「人を読む」プロの陪審コンサルタントか、長年の経験から培った方法を具体的に教えます。ストレスのない人間関係を築くために格好の一冊。パターンがわかれば「人を読む」ことはできる!  
著者
ジェーエレン・ディミストリアス
出版社
ヴィレッジブックス /ソニー・マガジンズ
定価
本体価格 700円+税
第一刷発行
2001/12/20
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ISBN4−7897−17771

はじめに

子供の頃、両親が自宅でよくパーティーを開いていた。
私はいつも階段のてっぺんに腰掛け、その様子をじっと見ていたものだ。
飲み物が皆に行きわたっているかどうかを注意しながら、いそいそと歩きまわる母。

家中に響きわたるような大声で笑う、頭のはげ上がった小太りの男性。
何度も聞かされた話に「またか」とばかりに頭をふる、やせ細った女性。
オードブルを次から次へと平らげる友達を見て、「ディナーが入る分くらい腹にすき間を残しておいてくれよ」と笑いながら声をかける父。

皆、それぞれ外見も性格も違うのにどこか似ている。
家中が何十人もの笑い声とおしゃべりでいっぱいになる土曜日の夜が大好きだった。
どうやら私は小さい頃から、人への飽くなき好奇心と共感を持っていたようだ。

月日は流れて二十五年後、はじめて私は何十人もの陪審候補者が裁判所に入ってくるのをどきどきしながら見つめていた。
彼らの中から私のクライエントの運命を決める十二人の陪審員を選ばなくてはならない。
頼りは、今までの人生経験と紙とペンだけだ。

陪審コンサルタントになる前も、私は自分なりにいろいろな人について判断を下してきたつもりだった。
中古車を売りつけようとしたセールスマンを信頼すべきかどうかを判断したし、「あなたのお兄さんに一目惚れしちゃったの」と親友に打ち明けるべきかどうかも判断した。娘のベビーシッターを選ぶ時も判断を要した。けれど、突然そんな「判断」はどうでもいいようなことに思えてきた。何しろ今回は人の一生がかかっているのだ……。それから十五年もの間、私は「人を読む」ことで生計を立ててきた。二万人以上の陪審候補者、何千人もの証人、弁護士を評価し判断を下してきた。時には裁判官についても判断を下したこともある。

決して楽な道のりではなかった。
やりがいのある仕事だが、人が思うほど華やかなものではない。
人聞きの悪い事件に関わり、うんざりするほど長時間働いても、いつも誉められるとは限らない。

厳しく批判されることも少なくない。
私はアメリカの司法原理システムに心から賛同している。
真に公平な陪審裁判以外で、何人もその自由、ましてその人生を否定されるべきではないと信じている。

しかし、どんなに一生懸命この信条を説明してもわかってもらえないことが多いばかりか、生命の危険にさらされることもある。
一九九二年のロサンゼルス暴動が起こったのは私のせいだと言う人もいた。
ロドニー・キングを殴打したとして訴えられた四人の警官を無罪にした陪審団の選定に関わったからだ。

だが、私は人に対して目を開き、耳をそばだてることをやめなかった。
法廷に登場する人々を理解しようとして、自分が受けてきた教育、観察力、常識、直感を総動員して最善をつくしながら、いかに「人を読む」かを学んできた。
どんな相手であれ、どんな場所であれ、どんな時であれ、人をきちんと読めるかどうかは毎日の生活に大きな影響を与える。

人をきちんと読み取れば、セールスマンなら売り上げを伸ばすだろうし、客ならもっといい買い物ができるようになる。
雇い主はもっといい人を選べるようになるし、仕事を探している人はよりよい仕事につけるだろう。
よりよい友人選び、恋人選び、パートナー選びもできるだろうし、もっと家族を理解できるようになるだろう。

友人に対しても、もっと優しくなれるだろうし、競争相手には打ち勝つことができるようになるだろう。
私のように「人を読む」ことで生計をたてている人の中には科学的研究や世論調査、統計的分析のみに頼る人もいれば、天賦の才を使うという人もいる。
だが、私に言わせれば「人を読む」時に必要なものは科学でもないし生まれつきの才能でもなく、経験である。

何を見たらいいか、何を聞いたらいいかを知るということであり、必要な情報を集めるための好奇心と忍耐を持つことであり、外見やボディー・ランゲージ、声や行動のパターンを理解するということだと思っている。

数年前に『アメリカン・ロイヤー』誌(併轄旺納け)が、私に「予見者」という称号を与えてくれたが、それは大学や大学院で学んだ心理学や社会学、生理学、犯罪学、統計学、コミュニケーション学、言語学のおかげではない。もちろん教育は価値があったが、現在の私があるのは人間の外見や言動に対する強迫的と言っていいほどの興味が「人を読む」力を与えてくれ、人間に対する共感がもっと「人を理解したい」と思わせてくれたからなのだ。

このようにして私が身につけた「人を読む」方法の中でいちばん重要なものは、ひとりの人の持つ、さまざまな特徴の中から浮かび上がる性格や考え方のパターンを見抜くことだ。これは自宅のパーティーを階段の上から眺めていた子供の頃からの人生経験と、四百以上の裁判によって磨かれてきたものであるが、幸いなことに、誰もが、いつ、どこでも習得できるものである。

なぜ私は確信をもってこう断言できるのだろうか?それは、過去十五年にわたり、自分なりの「人の読み方」を一万人以上の調査対象者にテストしてきた実績があるからである。何千人もの陪審員や証人、弁護士、裁判官の行動を予測し、自分の読みが当たっているかどうかを確かめることができたし、判決が下された後に、裁判関係者が何を思ったのか、なぜそう考えたのかを常に自分自身に問い直してもきた。

もちろん、いつも正しかったというわけではなく、最初の頃は間違っていることも多かった。
だが、自分の読みを何度もチェックしていくうちに、重要なサインとそうでないものを区別できるようになり、一つの特徴だけを取り上げて判断を下すのは間違いの原因になるということも学んだ。
また、同じやり方で法廷のみならず会社の会議室や寝室でも、相手の行動を予測できるということにも気づいた。

どこにいようとも、人は人。
証人席に立ち、陪審団に訴訟理由の正当性を訴える人も、のみの市で商品を売りつけようとする人と変わりはない。
裁判所で陪審候補者が見.せる偏見は、就職試験の面接官が持つ偏見と同じであり、陪審員や証人が答えにくい質問を避けようとする時の態度も、家庭や職場で取る態度と同じである。

どの法廷も人生の縮図であり、怒りや緊張、偏見、恐怖、貧欲さ、欺踊など、人間の持つ感情や特徴で溢れている。
人は誰でも自分が持っている感情や考え方を隠そうとしても、さまざまな形で露呈してしまうものだが、これは法廷でも他の場でも変わらない。
本書を通して読者の皆さんは、外見や行動から何を読み取れるかを学ぶことができるようになるだろう。

しかし、本書の目的はそれではなく、外見や行動というひとりの人間が持つ特徴を見つけながら人間の本質をあらわす全体的なパターンを読み取ることにある。
私がうまく人を読んでこられたのも、この方法を使ってきたからである。
このコツを習得することで、誰もが人生をより楽しく、より実り多いものにできると私は確信している。

本文より引用

 

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