人生を救え!
 
  苦しみよ さようなら  芥川賞作家・町田康が、世の悩める人々へ贈るパンクな人生応援歌 ! 要注目作家・いしいしんじと共に東京の街を歩きながら、人生について語り尽くす20時間─―路上の大河対談「苦悩の珍道中」に加え、人生相談「町田康のどうにかなる人生」を収録。町田康、初の相談+対談集 !  
著者
町田康 いしいしんじ
出版社
毎日新聞社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2001/10/5
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ISBN4−620−31526−5

彼の家は一流志向

短大二年生の私は、付き合っている彼のことで悩んでいます。
彼は四年制の一年生で同い年です。
とても気が合い、話も合うので付き合い始めたのですが、付き合うにつれて、二人の大きな違いに気づきました。

彼の家は一流(ブランド)志向、彼自身も全国に名の知れた有名私立校で、ずっとエスカレーター式に育ってきました。
大きな家に高級外車、グランドピアノ。
兄弟も私立の学校に通っています。

それに比べ、私は普通の公立高校出身で、奨学金とバイトでやっとこという生活です。
高校生の彼の妹とどっちが大人っぽく見えるかという話になった時も、「着ているものが違うから」と言われてしまいました。
とてもみじめで悲しかったのですが、本当のことです。

仕方がないのかなと思いました。
彼との仲はとてもいいし、何も問題ないのですが……。(神奈川県・短大生、女性十九歳)

二十年前。ぶらっと友人宅を訪問したところ、友人は、自分の入っていったのにも気がつかず、部屋の真ん中で、畳に顔を近づけて一心不乱になにか描いている。
いったいなにを、とのぞき込むと、しら紙に自動車の絵、どうも妙だな、と思いつつ脇で煙草を吸っていると、やがて得心がいったのか彼は、描き上がった自動車の絵を日の光にかざし、うん、うまく描けた、と眩いたかと思ったら、せっかく描いた絵をびりびりと破り、わっと男泣き、いったいぜんたいどうしちまったんだい、と、尋ねると彼は、高級外車に乗った金持ちのぼんぼんに彼女をとられ、くち惜しさのあまりにその高級外車の絵を描いていたのだと言ってまた泣いた。

可哀相になった自分は、高級外車は買ってやれんが、せめて、と高級外車のプラモデルを買ってやったが、彼の心の傷は深く、しばらくの間、彼は町で高級外車を見るたび、だらあ、こらあ、などと口を極めて罵倒をする、という奇癖が治らなかったのである。
昔から財力のある男というのは女にもてる。

しかしながら、いやそんなことはない、愛だよ、心だよ、という意見もあり、いったいどっちなんだ?金なのか、愛なのか、というのは、金色夜叉なんてな話もあるように、実に難しいところではあるが、結局は、恋愛は、愛なら愛、金なら金、とすっぱり割り切れるものではなくして、その両者が状況に応じて適宜、いい具合にブレンドされている必要があって、また、その配合比は時々に応じて変化、最初はちょうどいい具合だな、と思っていても、しばらくすると金がやはり足りんなと思うようになって喧嘩になったりするのである。

このように困難な人間の恋愛であるが、あなたの場合も愛と金を分離して考えすぎているんじゃないかな。
つまり、気が合い、話も合い、仲はとてもいい、のにもかかわらず、彼、ひいては彼の家の財力が障害となるかもしれない、と考えている。

あなたは一度、彼が仮に、無名三流大学の学生で、中古の自転車に乗り、みすぼらしい格好で変な言葉を喋るパンクロッカーだった場合でも、真に彼のことが好きかどうか、という問いを自らに問うてみるといいと思うな。
その答えがそのままあなたの悩みに対する答えになると思うよ。

 

何をやっても続かない

悩みというには、少し淡い相談事なのですが、よろしくお願い致します。何をやっても続かないのです。いろいろな習い事をしました。英会話、陶芸、体操、テニス……。最初のうちは面白くて、毎日が楽しくなるぐらいなのですが、何週間かすると飽きてしまうのです。一人娘はだんだんと手がかからなくなってきましたし、主人からも「今のうちに、何か、人生の楽しみをみつけた方がいい」と言われるのですが、何をやっても、だんだんとつまらなくなってしまいます。マンション暮らしなのでペットは飼えないし、関西の出身なので、あまり友人もいません。今は、せいぜい、近くの図書館で本を惜りてきて読むぐらいでしょうか。「テレビばかり見る毎日を送りたくない」とは思っているのですが……。(千葉県・主婦、四十一歳)

ひとに海釣りというのを習ったことがある。ところが、この、釣る、という行為は、習ってみて初めて分かったが、まことにもって卑怯な行為で、まず、竿の先に魚類に気どられぬように透明な糸をつける。卑怯である。その卑怯な糸の先に針をつけ、針に魚類が好む御馳走をつける、つまり、魚が、うわあ、おいしそうな御馳走や、食べよ食べよ、と、これを食べた場合、鋭利な刃物が顎や頬に刺さり、もがけばもがくほど食い込むという字義通りに欺隔的な仕掛けがしてあるのである。自分は教えられるが儘に、やあ、などと浅ましいかけ声をあげ、海にむ
かいて竿を振った。

錘はずんずん海に沈んでいったが、わずかの銭を払えば近所で新鮮な魚がいくらでも手に入るのに、なにを好きこのんで自分はかかる無慈悲な殺生をしているのだ、という思いが募って心も沈み、ものの半時間も経たぬうちに竿もなにもその場にうち捨てて、浜沿いの掛け小屋で日本酒を飲み焼き栄螺を食ったのである。
人生を楽しむために、と習い事をするひとは多いが、そもそも基礎というものは退屈なものである。

しかしまあ、なにもそれで飯を食っていくわけではないのだから、基礎などいい加減にやっときゃいいじゃん、と云うひともあるが、真にその妙味、面白さを味わうためには、その退屈な部分を乗り越える必要があり、たいていの人はその時点で飽きてしまう。
手紙を読むとあなたもここのところで引っかかっているようにも思えるが、僕は、実はあなたの場合はそうではなく、真に興味のあること楽しいことに、まだ出会っていないような気がするな。

あなたは、英会話、陶芸、体操、テニスなどを習ったとあるけれども、それは右にある僕にとっての海釣りの如きもので、いい加減に、まあ一般的にみんなこういうことをやるのだから自分もやってみよう程度の気持ちで決めていたんじゃないかな?でもね。
僕に言わせれば人間の闇は無限だよ。もしかしたらあなたはここではちょっといえないようなことが楽しいのかも知らんよ。

いまの世の中はねえ、レディー・メイドの楽しみがいっぱいあるけど、大部分のひとにとっての真の愉しみというのは、もっと別のところにあるのだと思うよ、僕は。
だからあなたは一度、自分を解放して楽しいと思うことだけをやってみたらいいと思う。
しかし、そうすると僕みたいになってしまうかも知らんがね。
ひっひっ。
ひっ。ひいいっ。

 

 

 

 

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