第一章
荒野の耳
その朝のことを、私は切り取られた風景のように鮮明に覚えている。
私は、きれいに手を入れられ、水を撒かれた花園の中を通って王宮に導かれた。
私は花の香りの帯の中を歩き、糸杉の梢では鳥が囀っていたと思うのだが、実はその時、それらのものをはっきりと見確かめていたわけではない。
それらの記憶は後から補強されたものだ。
当時十五歳と言われた私の頭の中は、色を失うほどの目映いエリコのオアシスに降る光を感じていただけで、あたりのものを余裕を持って見回す心のゆとりなど全くなかったのだ。
その人はゆったりとした寛衣を着て、日差しの中に立っていた。
恐ろしく背が高く、肌は浅黒く精惇な感じだった。
後で考えると、その人は飼っていた鸚鵡に言葉を喋らせる訓練をしていたのだが、私はそれもわからなかった。
「これが、その少年でございます」
侍従長はていねいな礼をした後で言った。
その人は無言で、私の方を見た。
「幾つだ」
もちろん私は答えられなかった。
私自身、生まれた日も知らないのだから。
そして何年か前に、父と母と弟二人妹一人の全員がたて続けに死んでから、どれだけの時間が経ったのか、正確には答えられなかった。
人は誰も悪夢の時間を数えることはしないだろう。
「多分、十二歳を越えて、十五歳くらいかと思われます」
「小さいな」
「ろくろく食べておりませんでしたから」
会話は私の空白になった頭の上を飛び越えて、風のように交差した。
「親たちもきょうだいも、皆死んだそうだな」
「そのようです。叔父が養っておりました」
「何で死んだのか。狼に食い殺されたのか」
私が口がきけないと知っているらしいのに、その人は私に尋ねた。
「ご承知のように、口がきけませんので」
侍従長はその人の機嫌を損ねないよう、あくまで記憶を喚起するのだという語調で言った。
私の親と弟妹は、咳をし、熱を出して死んだのだ。
それに狼は飢えると羊を襲うことはあるが、人間を襲うことはめったにない。
この人はそんなことも知らないのか、と私は思った。
「耳がだめで、どうして竪琴を弾く?」
「叔父の話では、親きょうだいがばたばたと死んで行った衝撃で、口をきかなくなったのだそうです。それまでは普通に喋っていたようです」
「何という名前だ」
「『穴』でございます」
「穴?どうして『穴』だ?」
「母親が群を離れた羊を探しに行って、穴の中で見つけました。羊を助け出したあと、すぐ産気づいてそこで生んだので、そう名付けた由でございます」
それを聞いて、大きな男は笑った。
その後十数年にわたって私が時折聞いた笑いであった。
「臭いな」
それは明らかに私に向けられた言葉だったが、その声に悪意はなかった。
私に向けられた眼も笑っていた。
しかし私はずっとまだ恐ろしさに震え続けていた。
「洗ったのでございますが、なにせ長い間羊の間に寝ておりましたので……家族が全滅した後、叔父が引き取ったのですが、あまりにも環境が変わったので口をきかなくなり、夜もずっと羊の間でしか寝なかったようです。誰にも心を閉ざしてしまったのです。ですから臭いもしみついて当分の聞抜けないものと思われます」
眼の前の大きな男は、今度は声を立てず白い歯だけを見せて笑った。
当然それは嘲笑の表現だったのだろうが、私はその表情の意味を推測する力もなかった。
私が今でもそのことを覚えている、と思うのは、その時眼の前にいた人─大王ヘロデ─がずっと後になってその時のことをからかい半分に言ったからなのだ。
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