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自分に"勝ちぐせ"をつける絶対条件"鷲の知力"を鍛えよ !
渡部昇一
現代は、「一流の人」を目指すのが難しい時代であるように思う。
その理由の一つは、悪しき平等主義と嫉妬心の蔓延にあると私は考える。
戦後の日本の特色として、「平等主義」がある。
確かに、それ自体は悪いことではないが、その弊害のほうが近年、目立つように思うのである。
平等の持つ本来の意味は、基本的人権、もっとわかりやすく言えば、神様や仏様の前では平等であるという意味の、根元的な意味の平等である。
だから、人間の能力や資質における平等というのでは絶対ないことは、子供でもわかるはずだ。
ところが、「根元的な人間としての平等」が、現実の才能、能力においても平等であるべきがごとき錯覚のもとに学校教育が行なわれている傾向がある。
落ちこぼれをなくすというスローガンのもとに、できる子をできない子に合わせる。
百メートル競走でも、手をつないでみんなで一緒にゴールに入るようなことをやっている。
つまり、「高い方の能力に合わせて平等にする」ことは絶対にできないから、できる子供を、できない子供のレベルに落としてしまうのだ。
”傑出した人物”を輩出しにくい日本のシステム
ところで、学校における競争では一応の枠があるので、差がついたと言っても、その差は知れたものである。
しかし、人生という場においては、その差はとてつもなく大きくなる。
そして、いつの時代の人たちも「傑出した人物」と「凡庸な人物」の人生における能力差を認め、素直に受け入れてきたのである。
例えば、戦国の武将では、誰が見ても秀吉や家康は傑出した人物であって、自分の力が彼らに及ばないとわかると皆、家来になっていたわけだ。
そして、昔の人はそうした突出した人物、つまり一流の人を素直に尊敬して、それに少しでもあやかろうという気があったように思う。
特に、潜在能力の優れた人間は、英雄や偉人の伝記や逸話によってインスピレーションを受けて、志を立てるということがよくあった。
ところが、物心つく頃から、徹底した「平等主義」のもとに学校教育を受けて育つと、一流を目指す気持ち、傑出した人物たらんとする気概が薄くなる、あるいは受け入れられなくなるということが、多いように思うのである。
しかし、突出して優れている人を尊敬の念を持って仰ぎ見ること、そして少しでもその人物に近、づこうと努力することが、自分の向上につながることは極めて多い。
そうすることが、何事かをなさんとする人が通るべき常道でもあるように思う。
世界的な経営者が共感した”二つの知力"
そこで一つ問題になるのは、その傑出した人物を伝える、伝え手のことである。
おそらく、東洋の文献で一番多くの人を刺激し、勇気を奮い立たせたものの一つに『三國志」が挙げられると思う。
しかし、陳寿が著した中国正史の一つである『三國志』を、日本を含めた漢字圏で圧倒的に人気のある書物『三國志演義』という歴史小説にしたてた羅貫中というのはどういう人だったかと言えば、どうということのない人だったと言ってもよい。
また、日本でも極めて広く読まれ、影響力の大きかった『十八史略』の著者、曾先之という人も、これまたどうということのなかった人である。
日本でも、南北朝の争乱の様を描き出した『太平記』を書いた人物が英雄ということはないが、『太平記』、およびそこから派生した無数の講談によって、どれだけ奮い立った人がいるかわからない。
また、西洋でもギリシアとローマの政治家の業績を比較評価したプルタークの『英雄伝』がなければ、おそらくナポレオンも出なかったかもしれない。
しかし、古代ギリシアの哲学者で著述家であったプルターク自身は、どうということのない人であった。
つまり、「どうということがなかった人々」が書いた書物が、後の人を感奮させるという不思議な現象があるのである。
私も子供の時に、野村愛正という人が書いた『三國志物語』(講談社)を読み始めて、英雄豪傑たちが活躍する舞台に目を開かれた。
もちろん私は、現実の場で英雄豪傑になる道は歩かなかったし、また、その道に入る資質もなかっただろう。
しかし、そこに現われた英雄たちの資質に、感奮する資質はあったように思う。
だから、伝記だとか歴史に現われた偉人たち、自分など足元にも及ばない人たちの行為に興味を持った。
そして、彼らを「英雄…偉人たらしめた特徴」を述べることに関心を持ち、これまでの著作にも著してきた。
それらの書物によって志を立てた青年が一人でもいてくれればありがたいのだが、私が
「学問のある人の知力」(ダチョウの知力)と「学問と関係のない知力」(鷲の知力)について考察をした文章を書いた時に、それを最も強く支持してくださった方の一人に、松下幸之助氏がいらっしゃる。
松下幸之助氏は、全くの徒手空拳から世界最大の家電会社をつくった人物であることは、今さら説明するまでもない。
しかも、戦中と戦後には、一時公職から追放されながら、不死鳥のごとく復活して、世界的な経営者になった方である。
この人の”鷲の知力”一言で言えば、物事の本質を鋭くとらえ、大所高所から判断する力は、私などは足元にも、爪先にも及ばない。
しかし、「人間の知力の働き」と「一流になれる人間の資質…才能」について私がいろいろ考えて書いたことが、この天才的経営者の松下氏に一番に共感していただけたことで、私は「傑出した人物の伝え手」としての自分に、自信を持つことができたのである。
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