はじめに
あのとき、俺は夜の街を走っていた。
誰も俺には逆らわない、誰にも負けない。
そんな自信に満ちあふれていた。
1988年4月2日のあの日までは……。
突然、悪夢が起こった。
死と隣合わせの毎日が始まり、絶望感、屈辱感、不安、恐怖、痛み、苦しみが次々と襲ってきた。
なぜ、死んでしまわなかったのか、どうして生き続けているのか。
なぜ俺だけがこんなつらい仕打ちを受けるのか。
俺よりひどいことをしてきた人間を野放しにして、なぜ、なぜ、なぜ……。
でも、あるとき僕は思った。
生き残ったことに、何か意味があるのではないかと。
もしかしたら、僕には何かやるべきことがあるのかもしれないと。
今の僕だからこそ、何かできるのではないか。
事故前の自分と、事故後の自分。
まったく違う人間を生きているこの僕に、メッセージを伝えることができたなら……。
堕ちるところまで堕ち、身動きひとつとれなかったどん底から這い上がることができた僕は、ようやく人間味のある男になれたような気がする。
これまで僕を育ててくれた家族、親戚の人達、励ましてくれた病院の先生と看護婦さん、いつもそばで見守ってくれた病院の伸間、友達。
僕を支えてくれた大勢の人達へ、心からありがとうを言いたい。
これからの僕の目標は、「この体になって良かった」と、心から言えることだ。
そして、言える日は必ず来る。
古市佳央
1971年、埼玉県生まれ。現在有限会社ウイング(中古車販売業)取締役社長。事故以前までは、いわゆる「やんちゃな」少年時代を過ごす。高校一年の春、バイクによる交通事故で、重度熱傷41%という、生死をさまようほどの大やけどを負うが、奇跡的に命を取り留める。自らの変わり果てた姿に、一度は絶望し、「なぜ殺してくれなかったのだ」と真剣に自殺を考える。が、その後の3年間にも渡る治療を通じて様々な入院患者との心のふれあいを経験し、再び生きる勇気を得る。退院後は、一般社会の人々の好奇と嫌悪、同情の視線にさらされ、逆に精神的強度を増す。いかに、世間の視線が偏見に満ちているか、ごくあたりまえに生活していくことが難しいかを知り、同様な苦しみを持つ人々のために、安心して集まったり、プールに入ったりできる施設設立を目指して、活動する毎日である。 |
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