再発見
 
  私たちは本当にOEを知っているか? これから書く人と深く生きるために小説を読む人への大江健三郎・読本  
著者
大江健三郎
出版社
集英社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
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ISBN4−08−774540−6

小説家自身による広告

大江健三郎

二十歳のころ、私はいつも暗い緑の『サルトル、かれ自身による』という本をポケットにいれていました。
五年ほどたって、連日デモの行なわれていたパリの街頭で、サルトルかれ自身に会った時も、私はむしろ紹介された同行の哲学者フランシス・ジャンソンに、かれの編集した当の本が自分にいかに大切だったかを夢中で話しました。

長すぎる会話に苛だった日本人作家から、一きみのフランス語では五分の一も通じてないのやないか?といわれましたが、私は思い浮かぶジャンソンの文章を幾つも幾つも引用して話し続け、一足先に去って行く時、哲学者は固く握手してくれたのです。

かれはデモの責任者のひとりでした。
二十歳の私は、まだ小説家になる決意もしてはいなかったのに、「これから書くために」この小さな本が必要だと感じていました。心が弱くなって、自分は文学研究者にもなれないのじゃないかと思う時も、「深く生きるために小説を読む」、そのガイドブックなのだと考えて、むしろさらに頼りにしたのでした。

あれから永い時がたち、初めて私自身について、それも編集にすら加わって同じような本を出すことになり─もとよりサルトルやジャンソンに自分をくらべる気持はありませんが─かれらに署名してもらってすぐ、バスティーユ広場で逃げまどううち失なった本が、かたちを変えて戻ってきたように感じます。

この本を作る契機となったのは、私が生き残りの真の同時代人と考える井上ひさしさんと、若いインディペンデントな学者として信頼する小森陽一氏に受けた、じつに長時間のインタヴューです。
それは思いがけないほど私を自己挑発的にし、私はほとんど忘れていた、滑稽かつ悲惨な入水未遂事件のてんまつまで、話しに話したのでした。

続いて日仏学院での、フランスの若い批評家・作家フィリップ・フォレストと、フランス大使館の文化参事官ですが、私について外国語で書かれたもっとも鋭いものだと思う批評の書き手であり、グルノーブル大学長も勤めた─つまり、話し合いの語調にもあきらかなフィリップの師匠でもある─アンドレ・シガノスとの公開討論がありました。

あの夕刻、じつは私の分の同時通訳マシーンは故障していたのですが、遠い日のパリの街頭での会話と同じく、私には二人のフランス語がよく聞きとれて、応答もほとんどズレのないものになりました─もちろん、私が話したのは日本語─。

それは、シガノス氏の論文なら以前から読んできたし、フォレスト氏の作品についても、幼く亡くなった娘さんに発想された美しく重い小説『永遠の子供』を、家内のためにあらすじと部分を訳したことがあり、その言葉と文体になじんでいたからです。

小説の結びだけ、私のノートから書き写しておくことにします。
家内は、このような作家が、私をめぐるモノグラフで光の音楽について見事な分析をしてくれてもいることに感謝の思いをいだいています。
〈私は娘を紙の存在に作りなした。私は夜ごと書斎をインクの劇場に変えて、作りだされた冒険をあらためてみずから演じた。

最後の文字を書いて、私はこの本を他の本と並べた。
言葉はどんな救いにもならない。
私はこのような夢を見る。

朝、彼女が目がさめたばかりの快活な声で私を呼ぶ。
私は彼女の部屋に上って行く。
彼女は弱よわしく、そして微笑している。

私たちはなにかありふれたことを話す。
彼女はもはやひとりで階段を降りることができない。
私は彼女を腕にかかえる。

彼女の無限に軽い身体を抱きあげる。
彼女の左腕が私の肩にかかる。

私のまわりにそって彼女の右腕がすべり、私の頸のくぼみに彼女のむきだしの頭のやさしい実在を感じる。私は力をつくして、彼女を支え、私とともに彼女をみちびく。
そして、もう一度、生の方へ向かって、私たちは赤い木の階段の硬い踏み板を降りてゆく。》

 

 

 

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