生きにくい・・・・・・
 
  恩師の葬儀に出席するより、友人の見舞いに行くよりも 家で「死ぬこと」について考えることのほうが大切だ。  
著者
中島義道
出版社
角川書店
定価
本体価格 1000円+税
第一刷発行
2001/07/30
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ISBN4−04−883680−3

イマヌエルちゃん

みなさんは、お母さまに「ねえ、お母さま、赤ちゃんはどこから生まれるの」なんてたずねて、お母さまを困らせることはありませんか。そんなとき、お母さまはきっとみなさんのかわいらしい声が急に聞こえなくなったかのように、フライパンの玉子焼きをひつくり返してばかりいらっしゃることでしょう。
あるいは、人指し指であごをちょっと押さえて、しばらく天井をごらんになると、やさしい目をこちらに向けられて、「ぼうや、なんでそんなこと聞くの、さあ、お外で遊びなさい」とおっしゃるのではありませんか。

だけどイマヌエルちゃんはけっしてそんなことを聞きませんでした。
やさしいお母さまを困らせたくなかったからです。
ところがある日、イマヌエルちゃんは晩のお食事を終えてナプキンでお口をお行儀よくキュッキュッとふきますと、お母さまのほうを向いて急にたずねました。

「ねえ、お母さま、〈きのう〉はどこへ行って〈あした〉はどこから来るの」熱いお茶をおいしそうに飲んでいらしたお母さまは、これを聞きますとびっくりしてイマヌエルちゃんの顔をごらんになりました。
「ぼうや、なんでそんなこと聞くの」そして、「さあお外で遊びなさい」と言おうとして、窓の外のまつ黒なお庭を見ますと、ゴクンとお茶をひと口お飲みになって、「アツツツ、さあ、アツツツ、お部屋で、アツツツ、遊びなさい、アツツツ」とおっしゃいました。

イマヌエルちゃんはとてもおりこうで、お父さまやお母さまのおっしゃることは何でも「はいはい」と言って聞く子でしたから、このときも、「はい、お母さま」と言って、すぐお部屋にかけて行きました。
けれども、お部屋に入っていつものようにきれいなご本を読んだり、積木のお城をつくったり、画用紙にクレヨンでじょうずにライオンの絵をかいていても、さっきと同じ声が聞こえてきます。
「〈きのう〉はどこへ行って〈あした〉はどこから来るのかしら」大きな柱時計がボンボンボンボンボンボンボンボンと八時を打ちました。

イマヌエルちゃんがご本や積木をきちんと片づけますと、すぐにお母さまが入ってこられました。
「さあ、ぼうやもう寝る時間ですよ」そうおっしゃって、お母さまはイマヌエルちゃんに水玉模様のかわいらしいパジャマを着せてくれました。
イマヌエルちゃんはほんとうはひとりで着られるのですが、わざとズボンに手をつっこんだりして、お母さまに着せてもらっていたのです。

イマヌエルちゃんがひなげしのお花が咲き乱れる小さなおふとんのなかにすべりこみますと、お母さまはイマヌエルちゃんの額にやさしくキスをなさって、お部屋のレモン色の明かりを消そうとなさいました。
そのとき、イマヌエルちゃんは半分まぶたを閉じて、小さい眠たそうな声で言いました。

 

 

 

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