昨晩お会いしましょう
 
  嫌だ。行かないで。絶対に離さない。どうしようもなく恋しくて、私はこんなにも支離滅裂な夜を迎えています。 もし、誰かを好きになってしまったら、苦しくても、たくさん好きになってだいじょうぶ。たくさん好きになって、悲しいお思いをしても大丈夫・・・  
著者
田口ランディ
出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2001/10/31
ご注文
ISBN4−344−00126−5

冷たい水が、口の中にとろんと流れ込んできて、あたしは泥沼みたいな眠りから浮上してきた。
透明な意識の水面に出るつもりだったのに、気がついたらひどい頭痛と吐き気で眠りの浅瀬であっぷあっぷを繰り返す。
お酒に酔ったんだな、と思った。

でも、あたしってそんなに飲んだろうか。
もしかしたら、お酒以外のものをこっそり飲まされたのかもしれない。
前にあやしい薬を飲まされた時も、こんな気分だったっけ。

送っていくよとか言って車に乗せられて、ペツトボトルのシーシーレモンを貰った。
飲んだらいきなりぶっとんで、気がついた時はぐちょぐちょにヤられてた。
あいつ、三十五とか言ってたけど、前歯の間が虫歯で黒くて爺さんみたいだったな。

マジでゃばかったよなあ、テレクラは。
会うたび突っ込まれてたもの。
あの頃はお金が欲しかった。

咽から手が出るくらいお金が欲しかった。
なんであんなにお金が欲しかったんだろう。
お金を貰えればなんでもやったもん。

自分の体を使ってお金が稼げるってすごいって思ってた。
体売るのがけっこう嬉しかった。
あたしって価値あるんだって初めて思えた。

ヤりたいって言われて断ったことなかった。
セックスは修業だから、って言ったら岡田から笑われた。
麻由はもともと淫乱なんだって、岡田は言ったっけ。

先天的にセックスが好きな女がいるんだよって。
おまえはそういう女なんだよって、岡田はいつもわかったふうなこと言うんだ。
東大だからさ、なんでも知ってるんだよ。

おまえみたいなのをエロトマニアっていうんだって岡田が言う。
そうなのかな、あたしにはよくわからない。
だけど、ぐちゃぐちゃになってる自分ってけっこう好き。

岡田は変態だからさ、いつもあたしが気を失うまでセックスするんだ。
わけわかんなくなっちゃうのって好き。
自分じゃなくなるのって楽だ。

だってあたしでいるってめんどくさいよ。
自分で考えなくちゃならないし。
岡田に抱かれてると岡田の言いなりになってればいいんだもん。

あたしは消えちゃうの。
この世の中にあたしは消えちゃうの。
自分で判断したり行動したりしなくていいの。

その瞬間だけ、すごく自由だなって思う。
人の言いなりになってるのに自由だなんてなんか変だけど、でも自分が消えちゃうのは好き。
ああん、違うよ、ゆうべ会ってたのは岡田じゃない。

岡田は来なかった。
あたしは一人だった。
待ち合わせした東急ホテルのロビーで一時間待って、それからアタマにきてぶらぶら六本木に行った。

アツコとかミユキとか、みんなで飲んでるっていうから行ってみようと思ったんだよ。
そうだ、あたしはカラオケ行って、それからみんなと別れて、それでも岡田に携帯が繋がらなくて、かなりキレてた。
キレて二人で歩いてた。すれ違った黒人に誘われてモータウンの店に入った。

それからどうした。
あたしは、いったいどうなっちゃったんだ。
目を開けようとしたのだけれど、目が開かない。

瞼がひどく重い。
口の中にまた水が流れ込んでくる。
ぬるぬるとした生温かな感触が、いっしょに唇に吸いついてきた。

誰かが口移しで、水を飲ませているのだ。
あたしは、驚いて頭をもたげようとして、やっと自分の不自然な姿勢に気がついた。
後ろ手に手首を縛られている。

あたしは、目隠しされているのだ。
しかも、誰かがあたしの体の上にかがんでいる。