熊の敷石
 
 
  芥川賞受賞・・・・・・いつもの物語に出会う旅は、フランス人なら誰でも知っているという寓話に着いた。  
著者
堀江敏幸
出版社
講談社
定価
本体価格 1400円+税
ISBN4−06−210635−3

いつのまにか迷い込んだらしい陽の落ちる直前の薄暗い山のなかで、突然、人工芝みたいに固く、ところどころへんに骨張っていて、しかも同時にやわらかい不思議な下草が敷きつめられている道に出た。近くに獣道でもあるのか、ほのかな生き物の匂いと体温すら感じられるこんな場所にぶつかったのはまさしく不幸中の幸い、疲れ切って言うことをきかなくなっている脚でもなんとか前に進めそうだし、最悪の場合このあたりで火を熾こして一夜を過ごそう。

そう心に決めた瞬間、地面ぜんたいが巨大な黒い毛虫の絨毯みたいにざわざわうごめいて足もとをすくわれ、尻餅をついた身体を間断なく突きあげる褶曲運動がはじまったので、私は恐怖と驚きのあまり疲労も忘れて木々のあいだをやみくもに走り、気がつくと小高い岩場に駆けあがっていた。肩で息をしながらほんの数刻前まで楽園のように感じていた草場を見下ろすと、あのやわらかい真っ黒な道に大きな瘤が突き出て奇岩城と化し、さらに目を凝らせばおびただしい数の熊が両の脚でたちあがったまま身体を寄せあいへしあい帯状に連なって山の奥へ移動しているではないか。

なんということだ、私は熊の背中を踏んでいたのだろうか。黒々と瀝青を吸い、あちこちに固い芯の入った毛皮のうえをいちもくさんに走りつづけてきたのだろうか。額も背中も汗でじっとり濡れていたが、逃げてくる最中にタオルを落としてしまったらしく、それを拭うこともできずただ呆然と突っ立っているところへ、熊たちがひしめいている彼方の、中央にほんのわずか均衡のくずれた二等辺三角形の孤島が突き出ている黒い海から、なまぐさい潮の香りをただよわせた微風が流れてくる。

塩気のある温かい風はただでさえ息苦しい気管を埋めるように入り込み、喉がひりついて、水が飲みたい、なにか冷たいものが欲しいと周囲を見まわしたところ、ほんの少し下の岩肌にできた亀裂からひょろひょろ流れ出している湧き水が目に留まり、おぼつかない腰つきでその泉へしゃがみこんだ。ところがそれを両手で掬い、ひと息に口に入れたとたん、とろけるような甘みと冷たさが口腔の奥を突き刺したのである。ずっと放置してきた虫歯が不意打ちをくらって悲鳴をあげ、私はざわざわとうごめいている熊の絨毯も喉の渇きも忘れてうずくまり、激しい痛みを堪え忍ぶはかなかった。

木の鎧戸にくりぬかれた菱形の穴から、形どおりの幅でやわらかい光の筋が素焼きタイルの床に落ちていた。部屋の空気じたいはきれいに澄んでいてむしろ涼 しいくらいだったが、壊れてのばすことのできなくなったソファー、ベッドの背もたれに顔が密着するような窮屈な恰好で寝ていたせいなのか、それとも奇妙に現実感のある夢のせいなのか身体じゅうが火照り、喉が渇き、そして夢とおなじように右の奥歯がうずいた。テーブルのうえの置き時計は、もう九時半をまわっている。ヤンが出ていったことに、私はまったく気づかなかった。

ゆっくり起き出して洗面所に行き、壁に作りつけられた両開きの棚からいつのものだかわからないアスピリンを探しだして水道水を注いだコップに投げ入れると、細かい空気の泡が音を立てて勢いよくわきあがり、その大半がぶつぶつと宙に消えたのを見届けてから舌にかすかな刺激のある即席の水薬を飲みほした。

これで歯の痛みがやわらいでくれたら。そう願いながら、タイルの列が不揃いな浴室でなまぬるいシャワーを浴びた。突きあげ式の小さな換気窓のむこうに、大雑把な間隔で打ち込まれた棒杭の列が見える。灌木の林が点在する広々とした敷地の、ここからは見えない丘を越えたところにいちばん近い隣家があるとは聞かされていたけれど、あたりに人の住んでいるような気配はまるで感じられない。棒と棒のあいだには有刺鉄線のかわりに太い針金が張られていたが、どの部分も電線みたいにだらしなく垂れ下がって、囲いの機能を果たしているとはとても思えなかった。

浴室は納屋のとなりの空き地に前の持ち主が日曜大工でこしらえたものというだけあって、床の傾きと排水溝とのつながりが悪く、あまり多くの湯を使うと流れずにあふれだし、あたり一面水びたしになってしまう。勢いを殺した湯でなんとか目を覚まして、じっとりしめった足ふきのうえを歩くと、夢のなかの黒い絨毯がまた生々しくよみがえってくるのだった。丈の低い木立ちと緩やかな起伏のつらなりを縫う村道を走り、二層三層に重なる低い雲の下の、刈り入れがすんで土がむき出しになった麦畑や乳牛の放たれた牧場を横目に見やりながら車を飛ばしてノルマンディー地方の小さな村のはずれにある田舎家にやってきたのは、正直なところまったくのなりゆきだった。

数年ぶりに訪れたパリでこなすべき仕事はまだ残っていたし、かつてつきあいのあった友人たちもいまではそれぞれきちんとした職についているから、夏の休暇前の中途半端な時期にとつぜん連絡するのもなんだか気がひけてひとりでぶらぶら過ごしていたのだが、いい気なもので順調に用事が片づき、多少の余裕ができてくると誰かに会いたくなり、そうなると自由業の人間のほうが好都合となうて、この二年ほど音信不通になっていたヤンの実家に電話をしてみた。

何度か会って話をしたことのある父親が出て、私が名乗ると、ああきみのことは覚えてるよ、元気にしてるかねと声をあげた。何度手紙を書いても返事が来ないんです、もし引っ越したのなら新しい住所を教えていただけませんかと頼んでみると、あいつは親にすら連絡をよこさんのだから勘弁してやってくれと笑い、じつはちょうど二年前にパリを離れて、いまはノルマンディーの小村に「停泊」しているという。訪ねたことはないからどんな家なのか知らないがね、かなりの田舎だそうだ。

言いながら、彼は受話器を置いてメモかなにかを取りに行き、連絡先を教えてくれた。一年のうち何ヵ月かアルバイトで稼ぎ、金が貯まるとあちこちへ旅をして写真を撮っていることは知っていたが、気に入ってるから動くつもりはないと公言していたパリ郊外のアトリエを引き払うとは思わなかった。その晩、よほど遅い時間でないとっかまらないという父親の教えどおり深夜近くに幾度か電話してみたものの、応答するのは留守電ばかりだった。

しかたなくホテルの番号を残しておくと、翌朝はやく、父親そっくりの、しかしそれよりはかすかに高いヤンの声が聞こえてきた。「ごめん、きみの手紙はちゃんと転送されて届いてるよ。いろいろあって、返事が書けなかった。じつは明日の朝アイルランドへ発つんだ。しばらく帰ってこないし、会えるとしたら今日しかない。あとどのくらいパリにいる?」「二週間」「そうか。こちらは二十日間の予定なんだ。やっぱり帰ってきてからじゃ遅すぎるな。本当はすぐ会いに行きたいけれど、旅行の段取りをつけておかなくちゃならないんだ。

もしよかったら、どこか。ハリ以外の町で落ち合わないか。たとえばカンあたりでどうかな。電車で二時間くらいだ。ぼくの家からでも車を飛ばせば一時間半で着く。食事でもして、別れよう」いま会っておかなければ、たぶんまた数年は会えないだろう。どうせ午後からの予定は空けてあったし、友人に会うために片道二時間の道程を日帰りで済ますのも悪くはない。いま抱えている仕事は原書の梗概をつくるごとだけだから、辞書と紙と鉛筆があればどごでも進められる。

場所を変えればむしろ短時間でも効率があがるかもしれない。私はホテルの部屋を残したまま小さなリュックひとつで駅に向かい、到着時刻を調べて切符を買ってからヤンに連絡を入れ、落ち合う時間を決めて列車に乗り込んだ。週末とあって列車はずいぶん混み合い、しばらくは順調に本を読んでいたのだが、コンパートメントで同室になった身長百九十センチはあろうかという気のいい学生とひよんなごとで言葉を交わしたおかげで、ごれから帰省する彼の故郷、ヴィルデュー・レ・ポワルという町の話を延々聞かされるごとになった。

ヴィルは街、デューは神、レ・ポワルはフライパンだから、むかし神様がフライパンで食事を作った街なのかな。私が冗談を言うと、ポワルはポワルでも銅製ですよ、なにしろ古くからある銅製品の産地で、銅じたいは採れないにしても、フランス中の教会の鐘を鋳造しているので有名なんですから、といたってまじめに説明してくれる。

途中、母親といっしょに乗ってきてあちごちのコンパートメントに顔を出しているらしい少年が、どういうわけだか私たちに興味をもち、学生がきちんと受け答えをしてやるせいでながいごと話をしていった。少年はIYWANと綴る、ノルマンディーに古くからある名前の持ち主で、いったん打ち解けると、もうずっと以前からの友人であるかのようにぶ しつけな質問を投げてくる。人物を当てる連想ゲームをやろうと言ってわけのわからないヒントを出し、ひとりでげらげら笑ったかと思うと、今度は急に学校の話をはじめ、週に三回コンピュータとスポーツの授業があるんだと胸を張る。

ふつうの女の子になんて興味ない、情熱的な子じゃなきゃだめなんだと頬を紅潮させる少年のおかげで、そんな表現がもう田舎の小学生の語彙にあるごとを私は教えられた。日本から来たというと彼は心底驚いた様子で、どうして目がつりあがっていないのかとしつごく聞いてくる。いろんな顔があるんだよ。つりあがった人もいれば、垂れた人もいる。きみも目がごんなだろ、と垂れ気味のイワン君の目を指でまねてやったが彼はそれに答えず、座席の肘掛けにもたれて足をぶらぶらさせながら、大きくなったら獣医かコンピュータ技師になりたいんだ、とまるで関係のない話をする。

獣医とコンピュータ技師じゃあ、ずいぶんかけ離れてるんじゃないかな、と私が茶化したのが気に入らなかったのか、でもぼくは獣医かコンピュータ技師になるんだと言い残して、ようやく出ていってくれた。「ノルマンディーの子どもたちは動物好きだからよく獣医になりたいつて言いますよ、ぼくも小さい頃には獣医か消防士になりたいと思ってました」学生は少年をかばうような穏やかな笑みを浮かべ、いろんな夢があるもんです、と落ち着き払って言うものだから、私はホテルのテレビでたまたま目にした、スグリの種取り選手権の話をした。

限られた時間内で、実を壊さずにできるだけ多くの種をピンセットで抜き出した者が優勝するというある村の伝統行事で、みごと優勝を果たしたおばあさんは、あたしの母もごの選手権で優勝しているので、母娘二代にわたって歴史に名を刻むごとができてとてもうれしく思います、ごれがあたしの夢でしたとインタヴューに応えていたのだ。それもまた夢のひとつだった。「ぼくの友人はカマンベール投げ選手権で優勝するのが夢でした」と学生が言う。

「カマンべ−ル投げ?」「なにしろ乳製品の産地ですからね。賞味期限の過ぎたカマンベールを円盤投げの要領で投げて距離を競うんです」腰を少し落としてごれから投擲に入る寸前の、美しい古代ギリシア彫刻を私は思い浮かべた。「それで、友人はその夢を叶えたんですか?」「ええ」「優勝記録はどのくらいなんだろう」「五十七メートル三十八です」「……………」男子円盤投げの記録だってたしかそのくらいのはずだから、ニキ口近い円盤を投げるわけではないにせよ、途方もない数字ではないか。

身体を丸めて腕を抱え込んだとき、審判団に見つからないようごっそりかじって重さを軽減したとしても、落下したときにばれてしまうから細工のしょうはない。正々堂々とした記録にちがいなかった。風を切って雄大な弧を描いてゆくチーズの円盤を想像して、私はなんだか不思議な感動に包まれたまま、折り目正しい話し方をする学生と握手をかわしてひと足先に約束の駅で降り、午後三時過ぎ、ヤンと再会を果たした。かなりの数の乗降客のなかに私を見つけだして手をあげてくれた彼の頭からは、最後に会ったときにはまだかろうじて残されていた髪がすっかり消え失せ、低温殺菌したような頭皮が清潔な光を放っていた。

ごのスキンヘッドにくわえて、当時なら想像もできなかっただろうピアスを、先のとがった特徴ある両の耳朶につけている。額の秀でた彫りの深い眼窩が以前より窪んでいるようにも思えたが、それは出口がちょうど日陰になっていたせいかもしれない。久しぶりとあって最初はちょっとぎくしゃくしたが、助手席に乗り込んでしばらく走るうちむかしの感覚がもどって、数年間の空白が消滅した。

ゆっくり話すのは五年ぶりかなと言った私に、ヤンはパンドルから片手を離して人差し指を出し、チッチッチと芝居がかった舌打ちをしながら、さっきもずっと考えていたけど、最後は電話で話したんだよ、きみが帰国する前にね、どごかのホテルからかけてくれてさ、と言う。だとしたら、顔を見たのはそれ以前のごとになる。「ぼくが採石場でアルバイトするようになった直後だよ、覚えてるだろ?石の写真をたくさん撮って帰ってきみに見せたごとがある」

 

 

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