死は炎のごとく
 
 
  テロリスト宋義哲の愛と魂は救われるのか? 大統領の屍におれの名前を刻み込んでやる!  
著者
梁石日(ヤン・ソギル)
出版社
毎日新聞社
定価
本体 1800円(税別)
ISBN4−620−10621−6

ふと立ち止まって振り返った。 電柱にとりつけてある外灯の光の輪にゴミ箱や子供の三輪車がぼんやりと浮かび、路地の暗闇に二匹の 猫の眼が光っていた。宋義哲と二匹の猫はしばらく睨み合っていたが、宋義哲の息づかいを感じた二匹の 猫は素早く跳躍して暗闇の中へ逃げた。人の気配を感じたが、気のせいかもしれないと思って宋義哲はま た歩き出した。 酩酊した意識が拡散と収縮をくり返している。焦点の合わない遠近感を失った眼で宋義哲は長屋を見回 し、空を仰いだ。長屋と長屋の間の狭い空に生きもののような満月が輝いている。

その満月を仰いだ宋義 哲は重心を失って後ろへ二、三歩よろめいて地面に倒れたとき、外に置いてあったブリキ製のタライに躓 いた。二転、三転ずるタライのかしましい音が深夜の長屋に響き、一軒の家に灯りがついて格子窓から顔 をのぞかせたセノギアジュモニ(おばさん)が、 「誰や!こんな夜遅く、タライを蹴飛ばしたりして!」 と怒声をあげた。 そして地面にひっくり返っている宋義哲を見て、 「義哲か、毎晩酔っぱらって、ええかげんにしいや!」 と格子窓をぴしゃっと閉めた。宋義哲は、まずかった、と思いながらやっと立ち上がったが、今度は遠心力に引きずられるようによろ よろと斜めによろめき、危うく家の壁に頭をぶつけるところだった。

壁にもたれた宋義哲はなまめかしい 満月を憎々しげに見上げてまた歩きだした。まるで宇宙遊泳しているみたいに五、六軒先にある自分の家 になかなか行き着けないもどかしさが腹立たしかった。それは、焼き肉屋で飲んでいたときの李昌植との 議論に対する腹立たしさでもあった。 『あいつは何もわかってない。おれのことを日和見主義とかぬかしやがって!あいつこそ日和見主義 や!』 宋義哲は混乱している頭の中で何かがちがう、と思うのだった。しかし、その何かがわからないのであ る。

直感的にはとらえきれないが、かといって論理的に説明できるものでもなかった。ひたひたと感情の 襞に押しよせてくる名状し難い何かである。何かをやらなければならないのだが、その方法が見つからな いのだ。 一歩あるいては立ち止まり、また一歩あるいては立ち止まって、首をうなだれ、何かを考えては酒臭い 息を吐いていた。そしてやっと家の表戸にたどり着いた宋義哲は、上衣とズボンのポケットを探って鍵を 握ると鍵穴に差し込もうとして何度も試みたが鍵を鍵穴に差し込むことができず、とうとう表戸を叩いた。

「お−い、お−い」 と何度も声を掛けて眠っている妻を呼び起こし、表戸を叩く音も激しくなる。 表戸を開けたパジャマ姿の妻は泥酔している夫に、 「鍵は持ってなかったの?」 と説いた。 「持ってる」 宋義哲は持っている鍵を妻の林里美に手渡すと、そのまま玄関の二畳の間に倒れ込んだ。 「毎晩こんなに飲んで。最近のあなたはどうかしてるわ」 妻の里美は二畳の間に倒れている夫を奥の六畳の部屋に引きずって行こうとしたが、体の大きい夫を引 きずって行くことはできなかった。 「あなた、あなた、こんなとこで寝ないで、布団に寝てちょうだい」 何度も揺り起こされた宋義哲はふらふらと立ち上がって上衣を脱ぎ、ズボンをはいたまま六畳の部屋の 布団にもぐり込んだかと思うと大きな鼾をかいて眠ってしまった。 結婚して一年になるが、こんなに泥酔して帰ってくることはなかった。

普段はどちらかというと寡黙で、 仕事から帰ってきて銭湯に行き、そのあと夕食のとき晩酌に二級酒をグラスに一、二杯飲むくらいであっ た。読書家で就寝前に二時間ほど読書するのが習慣になっていた。それがこの一週間ほど前から毎晩のよ うに泥酔して帰ってくるのだった。寡黙な夫は外での出来事をいっさい口にしないので泥酔の理由が何な のか里美には知るよしもなかったが、ただ組織との関係で悩んでいるのはうすうすわかっていた。それ以 外に生活のこともある。子供を出産して八カ月になるが、収入は落ち込む一方であった。家計を助けるた めにアルバイトでもしたいのだが、乳児を連れて働けるところはなかった。

生活力のない二十一歳の若さ でわたしと結婚したのは間違いだったのではないか?そんな不安が里美の脳裏をかすめる。宋義哲は里 美より二歳年下だが、外見は三十歳以上に見え、堂々としていた。すでに額のあたりが少し禿げており、 自負心の強い表情をしていた。だが笑うと少年のような顔になるのだった。そして寝顔もまた少年のよう だった。その少年のような寝顔を里美はいとおしく見つめた。側に寝ている息子の顔とそっくりだからである。 二年前の暴風雨のときだった。朝から降りだした雨は昼過ぎ頃になると強い風をともなって大雨になっ てきた。瞬間風速三ニメートルという台風並みの強風に屋根瓦が飛び、看板が落下し、街路樹が倒れ、下 水から溢れた雨で生野、東成、布施あたり一帯が冠水し、水嵩は膝上にまで達した。

各家では畳やタンス や布団を二階や屋根に上げたりしていた。警官や消防団員は舟に乗って人々に避難するよう伝えていた。 水嵩の増した雨はよどんだ運河のようだったが、マンホールのある下水は水を激しく吸い込み、そこは急 流のようになっていた。しかし膝上にまで達している水面はゆったりとしていて、その下が急流のように 水が激しく下水に吸い込まれているとは思えなかった。 林里美は自転車のハンドルを握って,バス通りの大池橋交差点を渡ろうとしていた。鶴橋商店街の雑貨店 に勤めていた里美は大雨の浸水で店の営業ができなくなり、自転車を漕いで帰宅を急いでいた。

その途中、 水嵩が増し、自転車のペダルを漕げなくなった里美は自転車を押しながら帰宅を急いでいたのである。そ して大池橋交差点を渡っているときマンホールの急流に足をすくわれて倒れた。自転車が流されて行く。 里美は必死に自転車を掴もうとしたが、マンホールの水圧は想像以上に強く、溺れそうにさえなった。両 手と両足をばたつかせて水圧から逃がれようとしたとき、一人の男に体ごと抱きかかえられた。里美はそ の男の肩に思わずしがみついた。里美の体を軽々と抱きかかえた男は濁流の中をゆっくりと歩いて交差点 の銀行前で降ろすと、 「自転車を取ってくる」 とまた濁流の中をゆっくり歩いて行き、流されていた自転車を肩に乗せてもどってきた。三十歳前後の 背の高いがっちりした体格と美男とはいえないまでも丸顔で切れ目の奥に光っている瞳は男らしく映った。 「家はどこですか」 と男が説いた。 「舎利寺です」 里美が答えると、 「じゃあ、家まで送ります」 男は自転車を肩に乗せて先に歩きだした。

男の後をついていた里美は濁流に流されまいとして、いつし か男の、ベルトを掴んで歩いていた。 この件をきっかけに、その後二人はときどき喫茶店で会うようになった。男の名前を知ったのは暴風雨 のときだったが、年齢を知ったのは二回目のデートのときだった。自分より二歳年下であるのを知って里 美は驚くと同時に自分よりはるかに大人だと思った。K高校を二年で中退し、韓国系の在日の組織が発行 している機関紙の印刷工となり、二年後に組織の活動家として機関紙を配達したり集会の準備やデモ行進 の先導役を務めていた。 デートのときは二歳年上ということもあって里美がもっぱら聞き役になっていた。宋義哲は政治に関心 を持っていた。

在日の状況を論じ、韓国、アジア、そして世界の現状を分析し、あきることなく喋った。 政治や組織には無関心な里美にとって宋義哲の話は退屈だったが、内に秘めた強い意志のようなものを感 じた。自分にはない高い志を持っている宋義哲に里美は好感をよせていた。独断専行するところがあるが、 それは若さのせいだと思った。何ものにも代えがたい若さを情熱的に生きようとしている宋義哲に里美は 他の男にないものを感じた。 五回目のデートの日は映画を観に行くことになっていた。場末の映画館ではなく、ミナミの「スバル座」で映画を観たあとレストランで食事をするつもりだった。ちょっとした賛沢である。

二人はバスに乗 ってミナミに出た。それまでのデートは近くの喫茶店が多かったが、バスに乗ってミナミでデートをする のははじめてだった。夕暮れのミナミはすでにネオンに輝き、大勢の人々が散策していて華やいだ雰囲気 におおわれていた。恋人同士が多く、みんな楽しそうであった。そのせいか里美も無意識に宋義哲と腕を 組んでいた。 宋義哲が切符売り場で二人の切符を買った。 ドアを開けて暗い場内に入った二人は眼が暗闇になれるまでしばらく立って空席を探していたが、里美 は宋義哲に手を引かれて左端の空席に座った。場内は六割ほどの客の入りであった。かなり前の方の左席 だったので画面全体が視界からはみだしそうであった。途中から観た映画の筋もいまひとつわかりにくく、 里美は漫然と画面を眺めていた。

そして十五分ほど過ぎたとき、里美は宋義哲にそっと手を握られた。鼓 動が高鳴り、急に手の平が汗ばんできた。映画の画面がぼやけて音声だけが耳鳴りのように響いていた。 しだいに宋義哲の手に力がこもり、里美は金縛り状態になった。そして体を引き寄せられたかと思うと里 美の唇に宋義哲の唇が重なっていた。映画館の暗闇の中とはいえ宋義哲の大胆で破廉恥な行為は里美の心 証をくつがえすものであった。毒恥心で顔が熱くなり、ただ瞼を閉じてどぎまぎしながら、このキスが早 く終ってほしいと思ったが、それどころか宋義哲の右手が里美のスカートの中に侵入してきた。里美は渾 身の力をこめて侵入してくる宋義哲の手を防いだ。里美のかたくなな抵抗に宋義哲は諦めて手の力をゆる めてキスをやめた。あまりにも強引すぎると里美は思った。

「どうしてこんなことするの?」 里美は小声で腹立たしげに言った。 「君が好きやねん。おれの嫁さんになってくれ」 こともなげに言う宋義哲の気持ちがしれなかった。 「そんな…」 と里美は絶句した。 だが、いったん思いたつと何が何でも実行せずにはおかない宋義哲は里美の手を取って席を立ち映画館 を出た。そしてやみくもに千日前の「大劇」の裏にあるホテルをめざした。宋義哲に引きずられながら歩 いていた里美は抵抗できなかった。咄嵯に決断を迫られ、どうしていいのか思考停止状態になっていた。 ホテルの前にきたとき里美は、あの膝上まで水びたしになっている道を歩きながら宋義哲のベルトを欄ん でいたように、不安と恥じらいと無力な自分に嫌悪を覚えながら宋義哲の上衣の端を掴んでホテルに入っ た。 それから半年ほど交際が続き、二人はお互いの親に結婚したい意思を伝えた

宋義哲は幼い頃に父親を 亡くしていて母親だけだったが、相方の親は二人の結婚に反対した。その理由は宋義哲が若すぎることで あり、里美が年上であることだった。しかし里美はすでに妊娠していて堕胎するわけにはいかず、二人の 結婚を認めざるを得なかった。 結婚前、喫茶店などでデートしていたときの宋義哲は熱弁家だったのに、結婚すると家庭ではあまり話 さないのだった。仕事をしながら組織の活動をしていたが、政治や社会情勢について話すこともなかった。 以前は、特に朝鮮問題についてあれほど熱心に語っていたのに、結婚して子供ができるとほとんど話さな くなり、遠い昔の記憶が消えてしまったかのようだった。里美も家事や育児に追われ、また二人目の子供 を宿していた。

夫が何を考え、何をしょうとしているのか里美には重要でなかった。二人目の子供ができ れば、たぶん夫は生活の重大な節目に立たされるにちがいない。そのとき夫は生活という現実に目覚める だろう。政治的な活動はある種の生きがいだが、生活とは別問題であり、やがて家族を優先する考えに変 わるだろうと里美は楽観していた。 宋義哲は責任感が強く、言葉を換えていえば自尊心が強く、泥酔した翌日、二日酔いだからといって仕 事を放棄することはなかった。

泥酔して前後不覚になっていても翌日は七時に起床し、歯を磨いて洗顔し たあと昨日の時間をとりもどそうと二時間ほど読書をしてから朝食につくのだった。いわば自分にノルマ を課し、そのノルマを遂行しようとした。食事のあと宋義哲は日本のA新聞と在日の組織、それも北と南 の機関紙を一時間ほどかけて隅々まで読み、重要と思われる記事を切り抜いてファイルしていた。 それから宋義哲は仕事服に着替えた。一見、消防署員と見間違える服装である。帽子も消防署員の帽子 と同じく二本の白い線が入っている。

して名刺入れの名刺の枚数を確かめた。名刺には「日本消火器協 会近畿支部山中栄造」と印刷してある。住所と電話番号は日本橋の電器商店街の裏通りの、一般にはよ くわからない消火器を販売している店にしてあった。宋義哲はその店から消火器を購入していたのだ。む ろん「日本消火器協会近畿支部」という団体は存在しない。宋義哲が勝手につけた名称である。 宋義哲は鏡台の前に立って服装を点検し、首に白いマフラーを巻いた。この鏡台は嫁入り道具の三点セ ット(洋服タンス・整理タンス・鏡台)として里美が持参したものである。宋義哲はマフラーを何度も巻 き直し、入念にチェックしたあと、鏡に映っている自分の顔をじっと見つめ、まるで役者のようにさまざ まな表情をした。

現実と虚構の隙間に何があるのか。鏡に映っている自分は虚像だが、実在の自分がいな ければ虚像もない。だが実像を隔てている距離は一億光年よりも遠いと思われた。自分の知らない時間と 空間で起こっている無限級数的な出来事は虚構だろうか。鏡の向う側にある世界こそ実在の世界ではない のか。宋義哲はその世界を見たいと思った。そこには何十万、何百万という人々が戦争と飢えに苦しみ、 のたうち、権力の餌食になっている。権力はすべてを無に帰してしまう死の力である。死の力は人々を恐 怖と暗黒の世界へ突き落とさずにはおかない。死の力に勝つ者こそ権力を打ち砕くことができるのだ。 高校一年のとき同じクラスの門脇律子から勧められて読んだインドの共産主義者M・N・ロイの言葉で ある。

日本の左翼グループが不定期に発行しているわら半紙に刷られたタイプライター文字の薄っぺらな 小冊子だが、そのざらざらした紙質とタイプライター文字で刻まれたM・N・ロイの言葉が、いまでも宋 義哲の胸の奥深くから蘇ってくるのだった。 「どうか彼らに私の首をとらせてほしい。統一はそれだけの価値がある。労働者階級の党が有効な政治 勢力となり、言葉の上だけでなく実践的に反帝国主義闘争の主導権を握らない限り、この国の政治的展望 は暗い」 民族運動の内部で共産主義者が主導権争いのために分裂の危機を孕んでいたとき、ロイは「私の首が欲 しいと主張するなら」とあえて自らの犠牲を提示することによって党の統一を求めた言葉だった。

もちろ んこの言葉の真実がどこにあるのかわからないが、宋義哲は自分なりに理解しようとしていた。それは統 一という言葉が孕んでいるたえざる危機意識である。レーニンと論争し、ガンディの無抵抗主義はブルジ ョアを温存させ、貧窮にあえぐ膨大な下層民の解放にはつながらない偽善であると痛烈に批判したロイの 思想を宋義哲は真実であると思った。 宋義哲は鏡の中の消防署員の姿を見つめながら、『そうだ、これは仮の姿だ。人間はみな仮の姿をして いる。服を脱いで裸になれば、みな同じなのに……』とロイの言葉を反倒していた。 宋義哲は押入れから大きなボストンバッグを重そうに引きずり出してチャックを開けた。ボストンバッグの中には家庭用消火器が三本入っていた。昨日は一本も売れなかったので、今日はなんとか三本売りた い。

そのためにはやはり団地へ行こうと決めた。宋義哲は登山用ブーツを履き、紐をしっかり締めて玄関 を出た。その後ろ姿を里美は不安そうに見送った。消防署員でもないのに消防署員の恰好をして、あたか も消防署から派遣されたかのように消火器を売っているのは一種の詐欺行為ではないのかと思うからであ った。しかし宋義哲は詐欺行為ではないと言うのである。それどころか、実際に火事が発生したとき、消 火器は初期消火に役立ち、家屋や人命を救い、必ず感謝されるだろうと自信を持っていた。 路地では子供が電柱の側に放置してあった三輪車に乗っていた。まだ三歳に満たない子供が三輪車を漕 いでいるのを見て、自分の子供にも三輪車を買ってやろうと思うのだった。昼間、放し飼いにしている近 所の犬が宋義哲に尾っぽを振ってすり寄ってきた。

宋義哲はその犬の頭を撫でてやり、路地を抜けて大通 りに出るとバスに乗った。それから今里で別のバスに乗り替えてナンバに出た。右に歌舞伎座を見て、正 面の南海電車が入っている高島屋百貨店前で降りた宋義哲は、書店に入って地図のコーナーで千里ニュー タウンの地図を購入し、喫茶店に入った。コーヒーを飲みながら広げた地図を丹念に調べ、これから行く べき団地に赤いボールペンで印をつけた。 いまから二年前、宋義哲は万国博覧会に一度行ったことがあり、そのとき広大な敷地に建設されていた 千里ニュータウンの一部を見た。将来は十五万人を擁する一大ベッドタウンになるといわれていた千里ニ ュータウンは憧れの的であった。

だが、入居者は日本国籍を有する者に限るという新聞広告を読んで悔し い思いをしたのを憶えている。その悔しさを晴らすためではないが、千里ニュータウンは消火器を販売す る対象としてはうってつけであると判断したのだった。消防署員にまぎらわしい恰好で消火器を販売して いるので噂になりやすく、できるだけ距離をおく必要があるのだが、その点、千里ニュータウンは一棟ご とに、いわば隔離された建物であり、噂になりにくいのではないかと思った。 千里中央駅までは地下鉄の御堂筋線で一直線である。新大阪駅から先は北大阪急行電鉄の管轄になるが 乗り替えなしだった。宋義哲は切符売り場で新大阪駅までのボタンと料金体系のちがう北大阪急行電鉄の ボタンを押して千里中央駅の切符を買った。 人込みの中を歩いていると白いマフラーが目立つらしくふり向く者もいた。宋義哲は消防署員らしく姿 勢を正し、わき目も振らずに歩いた。 電車は新大阪駅まで混雑していたが、それから先は空いていた。

終点の千里中央駅に着いたのは午前十 一時頃だった。改札口を出た宋義哲は駅周辺の様子を調べるために階段を上がった。駅の前がタクシー乗 り場で建物全体に格子を施した千里阪急百貨店があり、後ろはバスターミナルだった。確か万国博覧会の ときは、ここから会場まで特設の電車が開通していたはずだったが、万国博覧会の終了後、それは廃止さ れて跡形も失くなっていた。さらに階段を昇って行くと広場に出て、各階ごとに鮮かなピンク色の軒を縁 どっているセルシーの建物が目に入った。万国博覧会にきたとき、このピンクのセルシーに驚き、その印 象はいまでも残っている。宋義哲は広場の椅子に座ってふたたび地図をひろげた。千里ニュータウンは吹 田市と豊中市にまたがって建設されており、駅周辺にもかなりの団地が建っている。団地のある新千里東 町は目と鼻の先である。重いボストンバッグを下げているのでバスに乗るか歩こうか迷ったが、体力に自 信のある宋義哲は歩くことにした。 本文P.3〜13

 

 

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